第十部
僕の岸辺には船が来る。
時には大きな船団がやってくる。
その日は随分と声の大きな船団がやってきた。
彼らの代表が船団の中程にいる者たちを指差して言った。
「見たまえ!彼らは身体に障害を負っている。彼らは誰かの助け無くしては生きては行けぬ。彼らは弱者だ!」
指を差された者たちは、確かに何かしらの障害を負っているようであったが、その目の光には怯えを孕んでいた。
別の者が言う。
「見たまえ!彼らは先の大戦で家族を失った。彼らは悲しみの底にいる。彼らは弱者だ!誰かが助けてやらなくてはならない!彼らは弱者だ!」
指差された者たちは随分と若かった。
また別の者が言う。
「見たまえ!彼らは別の国からこの地にやってきた。彼らは言葉が分からぬ。彼らは文化を知らぬ。それ故彼らはここで生きることに難儀している。彼らは弱者だ!誰かが助けてやらなくてはならない。彼らは弱者だ!!」
指差された者たちは随分とふくよかな体型をしていた。
ある女性が言う。
「見なさい!彼女らは女性であるが故に蔑視されている。男どもは下卑た目を彼女らに向けるから、彼女らを性的な消耗品としてしか見ていない。そうに決まっている。彼女らは弱者だ!男どもの下卑た目は全て潰してやらなくてはならない!」
指差された女性たちはふんぞり返っていた。
「彼らは弱者だ!彼女らは弱者だ!彼らは助けられねばならぬ!彼女らは救いを求めている!彼らは弱者だ!彼らは弱者だ!……」
船団は僕の周りをグルグル回りながら声高にそう言い続ける。
「彼らは弱者だ!彼らは弱者だ!」
僕は耳を塞いで蹲った。
船団の言うことは分かる。どうしても社会には何かしらの弱者が生まれる。もちろんそれが本人の選択や愚かな間違いによって現れることもあるが、本人が全く意図できないような『運命』と判ぜざるを得ないような事も少なくない。彼らが弱者であることは僕にも理解できた。
ただこの船団には嫌悪を抱いた。ドス黒い霧が濛々と立ち込めるような、半ば悪意にも似た敵意があった。彼らは間違いなく自分たちの敵を探していた。そうして行き交う舟々を取り囲み敵か否かを見定めていた。彼らは弱者を救う正義という名の剣を振りかざしていた。
僕にはそれが怖かった。蹲って、耳を塞いで僕は怯えていた。
やがて彼らの声が止んだ。まるで別の獲物を見つけたかの様に皆同じ方向を見ている。
そこには一隻の戦艦があった。船頭には精悍な顔つきの男が立っている。その眼光は鋭く、遥か遠くを射抜いている様だった。
彼は船団に向けてではなく僕に向かって言葉を告げた。
「案ずる事はない。彼らは彼らの法則に則っているだけだ。己の法則からズレた考えを、彼らはその法則の例外としてしか見ない。
そうして彼らはその法則の神聖さと普遍的妥当性を守るために、誰かを傷つけることを厭わない。なぜならば彼らにとっては、誰かが傷つくとこよりも法則の神聖さを傷つけられることこそが許されないからだ。
彼らと共に行きたいならばそれでも良いだろう。だが彼らには標がない。自分たちを語る言葉がない。彼らにあるのは『普遍的かつ神聖な法則』のみだ。君が耳を傾ける必要はない。なぜならば君はまだ彼らではないからだ。」
その言葉を受けて、僕はあの日を思い出した。渦巻く嵐が天を捻り、逆巻く怒濤が海を砕き大空を天使の大隊が祝う様に旋回していた。僕が動かざる岸辺と思っていた世界は一つの舟であった。たどり着く岸辺を求めて、決してたどり着くことのない航海を始めたあの日を。
かの船団が掲げる言葉は僕の言葉ではなかった。それは紛れもなく彼らの言葉であり、そうしてそれは男の言う様に彼らの言葉でもなかった。彼らの顔が僕にはハッキリと見える。彼らは僕ではなく、僕は彼らではなかった。
「彼らは弱者だ!彼らは弱者だ!」
罵る様に叫び続ける船団を他所に、上空では天使たちが乱舞した。それは紛れもなく僕の『信仰』そのものであった。それはまだ僕の言葉ではなかったが、僕の耳には高らかな讃美歌が聴こえてきた。
気がつけば戦艦はいなくなっていた。雷霆と旋風が空を突き、怒濤が海を砕く。
いつしか船団はその嵐の中に消えていった。僕の耳には讃美歌だけが聴こえていた。
海はどこまでも続いている。